私にとっての茶色い地毛
それは、私が生まれたときから生活を共にしているパートナーの一人です。
私の茶色い地毛はただ茶色いだけでなく、とても細くてさらさらで
デリケートなのにダメージを知らない髪の毛です。
また、茶色い地毛は亡き父と、亡き祖母が私に与えた贈り物です。
小学生の頃は、三つ編みにする程度のヘアアレンジをしていました。
短髪の時もあれば、二つ結びにした時もありました。
高校生の時は前髪を伸ばして後ろで1つにまとめる、
いたって単純な髪型をしていました。
生活を何年も共にするうちに、
先祖からの贈り物(=黒くない地毛)を奪われる人、
泣く泣く捨てる人がいることに気づかされました。
それから、外国人と暴言を浴びせられたという祖母の過去を本人から聞かされました。そしてそれは、今もなお、教育現場や労働現場で知らないうちに横行していると
気づきました。
私は、生まれつきなのにそれを否定され苦しむ人を
減らしたいと思うようになりました。
そこでまず私が、当事者の一人として生まれつきの髪色で生きることにしたのです。
当事者が今そこにいる事実を一人でも多くの人に伝えるために。
そういうわけで、今まで私はヘアカラーもパーマもしないで
生まれつきの髪の毛を守りぬいてきました。
巻き髪はお祝いの式があるときだけです。
ヘアアレンジは、美容師さんが「してもいいですか?」とお願いしてきた時だけです。
ドライヤーも温風の使用時間を短くし冷風で乾かしています。
できるだけ傷つけないようにしてきました。
生まれつき黒くない髪の人だって、
黒髪にあこがれていたりヘアカラーを楽しんだりする人はいます。
その一方で、黒髪の人が黒髪で生きるように
生まれつき黒くない髪の人が生まれつきの髪色で生きたいという人もいるのです。
ですから、黒染めして生まれつきの色を隠すことは
誰もが抵抗なく簡単にできることではありません。
染めた髪の色で生きていたいという欲求は、わがままな面もあります。
ですが、生まれつきの髪の色で生きていたいという欲求は、
黒髪の人が黒髪で生きていたいというのと同じことではありませんか?
では、なぜ黒髪の人は染めないでも生きられて、
黒くない髪の人は染めなおして生きなければならないのですか?
どちらも生まれつきの髪色で生きたいということには変わりないのに、
黒くなければ黒染めという差別を受けなければならないのですか?
私は茶色い地毛と共に、立ち向かいます。